会社案内

弊社は昭和41年(1966年)3月19日に設立し、今年で創業55年を迎えることとなりました。
現代の騒音、公害、自然災害、地球温暖化などに依る被害を軽減するべく窓関連の製品開発、提案、製品の改良を従業員一同、責任をもって対応しております。
弊社は、常に時代の流れをくみ取り多くの皆様がご満足頂ける製品を提供し続けたいと思っています。
弊社の社訓でもありますが、会社の利益のみを追求せず三方良しの精神をもって地域社会との共存共栄を視野に入れながら皆様と一緒に行動してまいります。そして、今後も長い歴史の中で培ってきた『信頼』『技術力』を一層高めお客様に豊かな暮らしをご提供できるよう社員一同邁進してまいります。
今後ともご支援、ご愛顧のほどよろしくお願いします。

会社名 | 中日建材株式会社 |
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所在地 | 〒500-8175 岐阜県岐阜市長住町九丁目21番地map |
役員 |
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建設許可番号 | 【建具工事業】 (般-29)第101927号 許可期限:令和4年12月25日~令和9年12月24日 【建築工事業】 (般-1)第101927号 許可期限:令和2年3月27日~令和7年3月26日 |
営業時間 | 8:30~17:00 |
定休日 | 隔週土曜日・日祝・年末年始 |
TEL | 058-252-0117 |
FAX | 058-252-1656 |
info@chunichikenzai.com | |
業務内容 | 1.下記物品の売買並に輸出入業、問屋業、仲立業、代理業及附帯する工事 (イ)アルミニウム製サッシ、ドア (ロ)スチール製サッシ、ドア (ハ)鋼製軽量ドア (ニ)発色アルミニウム (ホ)重量、軽量シャッター (へ)其他建材製品 2.建築工事業 3.塗装工事業 4.前各号に附帯する一切の業務 |
昭和41年3月 | ・愛知県名古屋市東区筒井町に中日建材株式会社を設立 ・初代社長として小塩照雄が就任する ・資本金は、1,000,000円 ・仕入先は主に豊和工業株式会社 |
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昭和42年11月 | 豊和工業株式会社の中部近畿総代理店に指定される |
昭和43年11月 | 本店所在地を岐阜県岐阜市長住町9-21に移転する |
昭和46年5月 | 決算月を11月~10月から6月~5月に変更する |
昭和48年5月 | 資本金を2,500,000円に増資する |
昭和49年5月 | 資本金を5,000,000円に増資する |
昭和50年5月 | 建設業許可を愛知県知事に申請し許可 |
昭和54年9月 | 伊丹出張所を新設 |
昭和55年2月 | 小牧出張所を新設 |
昭和60年11月 | 本店所在地を愛知県名古屋市中区栄3-27-7に移転する |
平成7年8月 | 資本金を10,000,000円に増資する |
平成15年4月 | YKK アーキテクチュラルプロダクツ(現:YKK AP)と取引を開始する |
平成18年5月 | トステム(現:LIXIL)と取引を開始する |
平成19年8月 | 本店所在地を岐阜県岐阜市長住町9丁目21番地小塩ビルに移転する |
平成19年12月 | 建具工事業の許可 |
平成21年4月 | 伊丹営業所を閉鎖 |
平成22年12月 | ホームページを開設する |
平成23年9月 | 岐阜県知事より経営革新の承認を受ける |
平成26年12月 | 中日建材互助会を開設、運営 |
令和2年2月 | 光明町に移転する |
令和2年3月 | 建築工事業を岐阜県知事に申請し許可 |
令和4年4月 | 新社屋完成に伴い長住町に移転 |
根源は、1901年(明治34年)小塩喜一郎がこの岐阜市で肥料の販売を目的に小塩商店を起こしたところから始まる。その後商店は順調に業績を伸ばすが、本人は政治家を志す。
当時息子の照雄は県立岐阜商業を卒業後、あるところに丁稚奉公に行ったがそこで徴兵となります。終戦となり、以前の仕事仲間から声が掛かり鉄の商社に勤める。商才を買われた照雄は会社を任されて専務となるが、その後、会社を立ち上げる。その会社名は岐阜商店。
そして会社はいざなぎ景気に乗り、朝は暗いうちに出掛け夜はどっぷりと日が暮れてから帰るような生活を送ります。そして次々と会社を立ち上げていきます。
そんな時、大手の川鉄商事から声が掛かります。最終的には川鉄商事の副社長を小塩照雄は努めます。ちょうどその時、豊和工業株式会社の野崎信義社長と出会います。野崎信義社長は当時"うちに鉄を供給して欲しい"と言われました。
当時は鉄の需要が多く供給が間に合わないときです。照雄は二つ返事で豊和工業に鉄を供給します。そこから豊和工業との付き合いが始まります。それから数年後、野崎信義社長は照雄に"これからはスチール製建具ではなくアルミ製建具(アルミサッシ)の時代が来る。照雄さん非鉄の販売会社を立ち上げてくれんか"と懇願される。またまた二つ返事で了承する。
その時立ち上げたのが中日建材株式会社である。この名付け親は当時の豊和工業株式会社社長の野崎信義様です。由来は日本の中部地方で一番の会社になって欲しいという思いで付けられた名前と聞いています。
会社の名前に恥じないよう従業員一同邁進していく所存です。